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    語り部タクシー (山田町/岩手県)~東日本大震災の爪痕。今語り継がれる津波の話

    山田町語り部タクシー
    津波の恐ろしさを語る語り部の立花さん

    津波の恐ろしさを語る語り部の立花さん

    地区ごとに何メートルの津波が襲ったかの見取り図

    地区ごとに何メートルの津波が襲ったかの見取り図

    今年は東日本大震災から10年目とあって、震災の跡地を巡礼することにしました。宮城県南三陸でもホテル主催の震災語り部バスに乗って説明を受けましたが、こちら岩手県でも山田町で語り部タクシーに乗車しました。
    ドライバーさんは陸中山田で古くから「マリンタクシー」を経営し、自らドライバーをしている立花正雄さんです。岩手県の海辺の町、山田町がどのように津波の被害を受けたかの様子を、その跡地に訪れて案内してくださいました。
    震災前の山田町の人口は23500人。津波で無くなった方と行方不明となった人は1000人を数えるそうで、現在の人口は約18500人だそうです。大きな津波が来たのは18mから最も高いところで何と最大25mにも及んだそうです。想像もつかない大きさです。

    旧陸中山田駅の駅舎にかけられていた大時計

    旧陸中山田駅の駅舎にかけられていた大時計

    1933年にこの地を襲った昭和津波。その教訓で防潮堤が作られてはいました。しかしその高さはすべて3m。到底足りませんでした。現在ではあちこちに9.8mの高さの防潮堤が建てられ、現在建築中のものも目立ちます。海の方向を見ても、海は見えず、コンクリートの灰色の壁が目の前に立ちはだかっている所もあります。安全を守るための防潮堤ですが、まるで監獄の中にいるようなイメージです。これでさえ前回来た高い津波が防ぎきれるのかどうか、という高さなのです。防災は大変なのです。
    まず訪れたのは津波で流されてしまった「船越小学校」。生徒たちは裏山に避難して全員無事だったとは奇跡的です。一度校庭で待機していたところ、海から黒い津波が押し寄せてくるのが見えたため、裏山に逃げることができたのだそうです。海が見えるロケーションというのが幸いしたようです。でも3日間は助けも来ない中、避難場所となった講堂の中で着の身着のまま小雪が降る寒い夜を過ごしたそうです。

    鎮魂の鐘を鳴らします

    鎮魂の鐘を鳴らします

    山田町は背後に山があったから逃げやすかったとか。陸前高田などは平地なので逃げ場がなくて大変だったそうです。震災から10年が経ち、あちこちが復興で変わったと立花さんは言います。山を切り開いて新しい家を建て、多くの新築の家が丘の上に立っています。町の中心には大型スーパーができて、その周辺に飲食店や銀行、本屋、郵便局、居酒屋などが集まるコンパクトティーができているのです。
    そこには何度もニュースで見た三陸鉄道の新しい陸中山田駅の駅舎もあります。かつての駅舎の表にあった大時計は丘の上の鎮魂碑の横に飾られていました。時計の針は津波被害のあった3時27分を指したままです。
    鎮魂の鐘がありました。心を込めて鳴らした鐘はカラーンカラーンと美しい音を海に向かって響かせていきました。  (2021年6月訪問)

    レストラン名震災ガイド&まち歩きつまみ食い 語り部タクシー
    ジャンル
    住所
    TEL0193-65-7901 一般社団法人 山田町観光協会
    予算5460円(1台/1時間)
    座席
    個室
    予約の可否要予約

     

    今回のトラベルアドバイザー
    井原 三津子/203か国訪問

    京都は金閣寺で生まれ育ち、小学校の時、岡崎美術館の美術教室で絵を習い美術館で絵画に親しむ日々を送った。初海外ではパリに1か月アパートを借りて滞在。後に子連れ辺境旅行で世界中を巡り本を執筆したり新聞に連載も。コロナの直前運よく行けた南極クルーズで7大陸制覇。今までに203の国・地域を旅した。

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