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私の旅の原点とも言える体験はバスク地方から始まった?!
バスクという名を聞くと、私は必ず昔の出来事を思い出します。学生だった頃、初めての海外旅行でユーレイルパス片手に自由気ままな旅をしていました。フランスのボルドーから国境を越えて明朝はマドリードに着く予定の夜行列車に乗っていた時の事。当時まだバスク地方はフランスとスペインから独立するための紛争をしていた時期で、ちょうど私が行った時にも動乱が起こり急遽フランスとスペインの国境が閉鎖したのです。止まってしまった列車の車中で夜明かし。国境の町アンダイエの駅で周りにはカフェもなく、お腹がペコペコになった時に、乗客に配られたサンドイッチとオレンジ。そのサンドイッチに入っていたのが生ハムでした。スペインの固めのパンに挟まれたスペイン産生ハム。初めて食べたそのサンドイッチは素晴らしく美味しくて、私にとって本当に感動の味で、一生忘れられないものとなったのです。24時間後に無事国境は開けられ、その後は無事マドリードに行くことができました。
今でこそバスクはグルメの代名詞的存在となりましたが、当時バスク地方の存在は名前しか知らないくらい未知なる場所だったのです。私が本格的に美食に興味を持つようになり、バスク地方を目指したのはその後ずいぶん後になってからのことです。
バスク地方はスペイン側とフランス側からなっていて、それぞれに魅力がありますが、やはり最も有名なのはスペインのサンセバスチャン。海辺の小さな町なのにミシュランの星付レストランがいっぱいあり、ピンチョスが美味しいバル巡りも楽しみのひとつです。私は町に3つある3つ星店のうち2つを訪れ、噂に聞いていた斬新な小皿料理を堪能しました。今はこうした小皿料理がバスク料理を代表するかのように思われがちですが、実はバスク料理はもっと郷土食の強い滋味深いものです。その後地酒チャコリのワイナリーを見学したり、羊の牧場でチーズ作りを見たりたくさんの体験をし、バスク料理が豊かな自然の中で育まれてきたものだとわかってきました。
日本のバスク料理の第一人者のお店、函館の「レストラン バスク」へ行ってきました!!
昔、バスク地方が今とは違って全く知られていなかった時代。1970年代にバスク地方のレストランで3年余り修業をして、日本にバスク料理を紹介した草分け的存在のシェフがいます。その人こそ函館に「レストランバスク」を40年前にオープンして、今なお続けておられるシェフ深谷宏治氏。深谷氏が函館にこの店を作ることとなったいきさつは2019年に出版された「料理人にできること」(柴田書店版)に詳しく記されています。飛び込みでフランス料理の修業をすべくひとりフランスに渡ったもののうまくいかず、紆余曲折して行きついたのがバスク地方のレストランでした。そこで出会った生涯の師となるルイス・イリサール氏は「バスク料理の父」ともいえる料理人だったのです。本書に書かれている感動的な映画のようなストーリーはもちろん実話で、今なおルイス氏との交流もあるそうです。
深谷氏はレストランバスクをやりつつ、17年ほど前からは函館から発信を開始した、「美食による街づくり」を推進するための「バル街」のイベントの立役者でもあるのです。
今回私が函館に行った目的は、このお店でランチを頂くためでした。オードブル、スープ、メイン、デザートの4コースでなんと2500円というコスパの良さもあってか、店内はコロナ禍でもかなり賑わっています。オードブルもピンチョス6品の盛り合わせで、甘海老のクリームコロッケも入っていたり、最初から驚きの内容です。熱々で美味しい地元の椎茸のアヒージョやジャガイモのまろやかなスープやニンニクスープもスペインの味。地元知内産の牡蠣のグラタンもトマトベースにグリュイエールチーズと、牡蠣好きグラタン好きの私には堪らない1品でした。
三角屋根の天井には焦げ茶の梁があって、大きな生ハムがぶら下げてあったり、バスクのムードも満点です。私の座ったテーブルの横に飾られていた油絵が印象的だったので、シェフに訊きました。店がオープンした当時、画家の知り合いが描いてくれたそうで、アンダルシアの風景と一緒にバスクをイメージした背景が描かれ、手前にはシェフと奥さんの若かりし頃の絵が大きく描かれています。バスクの爽やかな風が吹き込んでくるような素敵な絵なのでした。
(2020年12月訪問)
レストラン名レストラン バスク
ジャンル | バスク料理/スペイン料理 |
住所 | 函館市松陰町1-4 |
TEL | 0138-56-1570 |
予算 | ランチコース 1800円~ ディナーコース 4400円~ |
座席 | 30席 |
個室 | あり |
予約の可否 | 予約可 |